みやざきの鉄道史

大正2年10月から、南宮崎から内海の間20kmを50年間走り続けた宮崎軽便鉄道が、国鉄日南線の建設により、6月30日限りで姿を消すこととになりました。この日、地元住民や訪れる観光客に「弁慶号」の愛称で親しまれた列車の最後の雄姿を見送るために、約300名の関係者が集まりました。(昭和37年)

この年、中学校を卒業した県外就職者は約8,000名。このうち、第1陣600名が、3月20日に第1号列車で、関東、中京、関西方面へ出発しました。宮崎駅に集まった生徒は、両親などに見送られながら、希望と不安を胸にそれぞれの勤務地へと 旅立ちました。(昭和38年)

50年来の夢が実現。工事が一時中断されていた国鉄日南線の宮崎〜北郷間約35kmが、37億円をかけて完成し、宮崎〜志布志間約90kmの国鉄日南線全線がようやく開通しました。5月8日には全通の記念式典が行われ、宮崎駅から祝賀列車が 出発しました。沿線では、約2万人が小旗をふって、全通を祝いました。(昭和38年)

昭和41年から進められていました国鉄日之影線の高千穂町までの延長工事が完成し、7月22日に開通式が行われました。これより、日之影線は高千穂線に改称され総延長50.1km、駅数18のローカル線となりました。 さらに、国鉄では熊本県高森までの約23kmの延長を計画していましたが、ついに実現しませんでした。(昭和47年)

昭和7年に全線開通した日豊本線は、その後電化が進められてきました。宮崎県では、昭和49年に南宮崎〜幸崎(大分県)、54年には南宮崎〜鹿児島間が電化されています。写真は、昭和49年4月24日に運行された県内最後のSL列車です。